「お寺と神社は一緒なのは、変なんですか?」
「変じゃぁないな」
「初詣に行くのが神社で、お葬式がお寺で?」
「ちょっと違うような…」
…とは、ウェディング・パニック3に自分で書いた掛け合いですが。
実際、平安末期あたりにはすでに日本神教と日本仏教はごっちゃに近い状態になって、後には、文化はもちろん、年貢徴収から政治、身分、戸籍制度に鎖国時のキリシタンがどーたらに明治期に入ってからの徴兵制度等々、二次大戦後まで延々と、いろいろなことに利用したりされたりしています。
幕恋関係の重要な点としては、主人公ちゃんが寺と神社をごっちゃにしてる理由や、坂本龍馬が開国を主張したり、新撰組が結成されたり、といったことに繋がる……んですが……
まとめてすっきり、は無理! 根っこを辿ると……聖徳太子のじーちゃんくらい(数えたわけじゃ無いけど)の時代まで遡っちゃうんで、そこらへんから…なるべくざっくり……。一応、日本文化史の根っこでもあるから、短大時代に……就職活動やらんと、こういう話もふくめて全講義、ほぼ無欠席で受けてたりしたから、後にいろいろ響いちゃったんですが……まぁ、そーいう暗い話は置いといて……。
とりあえず、神社とお寺がごっちゃになった経緯や、それが世界中から見て、どれだけのレア・ケースなのか、って辺りから。
神社の中に仏さんの分身っぽいお地蔵さんがいたり、お寺の片隅に鳥居があってお狐さま筆頭に神様っぽいものが祭られてるところがあったり、たぶん、日本に住んでたら見たことがあると思います。
神社やお狐さんは、日本神教……八百万の神々様。
お寺や仏像、お地蔵さんは日本仏教。敢えて「日本」とつけます。
仏教の発生元である天竺ことインドや、日本への流入元である中国…っていうか、清以前のあの辺の地域とも、かなり変化してるんで。(ちなみに今の中国内ではキリスト教の率がかなり高い…らしい)宗教の地域に併せた変化自体は、別に珍しくはありません。一神教の代表格である、ユダヤ教から派生したキリスト教も、初期には認めていなかった諸外国の多神教の神様に該当するものを「天使」とか「悪魔」という概念で受け入れたのが、ローマ時代。政治情勢や国境線の変更などによって伝承が転々としつつも、どうにか意義を保っています。
仏教も、インドでは地域信仰であった神様を仏陀と同列ないし同一族として扱ったり、中国仏教では、有名なところでは西遊記に登場する面々なんかも、元は土着神やその他諸々の信仰対象だった神様に近い格の一同に、いろんな役割を担ってもらって成立している状態です。仙人なんかもその対象に入ります。
逆に、宗教としてほぼ消えたも同然になったことで、逆に文学として現代まで原型を留めているのが、古代ギリシア神教……ギリシア神話です。
イスラム圏やローマ法王庁など一神教を貫く中でも、寛容、というか、国際社会と仲良くやっていくためにひねり出した考え方に「他の宗教はまだ未熟で、唯一神を変形させて信仰している」というのもあります。…………絶対に認めん、という所は、ただいま冷戦ないし戦争中。ヨーロッパの中世暗黒期と呼ばれる頃と似た状態を、剣や槍でなく、銃器でやっている、という感じ。……と、解釈すると、あんまりそういう地域の情勢は蔑めた目で見ちゃぁいかんのじゃないか、と個人的には思うわけですが……。
……えーと。いきなり外国の例を連ねたのは脱線ってわけではなく。
多くの場合、戦争によって完全に破壊されたり、ギリシア神教のように宗教の列から外れてしまった例を除いて、勝った国の宗教の下に、負けた国の神様の名前が加えられる、という形をとることがほとんどです。
なぜか、っていいますと、負けた国の神様で残っていくのは、ほとんどが農産物や食べ物、気候など、身近に影響を及ぼす神様で、上の方はともかく、実際に生活する大半の人たちに、いきなりそれを否定させてしまうのは、一揆とかいうレベルじゃない、別の敵国を作り出す危険性すらあることなので、軽く扱えない、というあたりが、国を広げたかった人たちの本音のようです。
……そんな世界の宗教事情の中、日本の場合はちょっと変わった発展の仕方をしているよ、というのが、今回の記事のお話です。
日本の場合、ごく短期間に睨み合いがあったことも在るけれど、基本的に神様と仏様は同列扱いで、どっちが上とか下とかってなってる時期がほとんどありません。ほとんどの国の宗教関係は上記の通り、勝った側の下に負けた側の神様が追加される方式でやってるので、ほぼ同列、というケースはものすごくレア、というか変。
最初の最初は、対立構造にありました。
中国の魏志倭人伝にくらいしか記録がないとはいえ、一応、日本だろう、ってことになっている(※)邪馬台国の時代には、まだまだ土着神、自然現象を神様に置き換えた信仰でした。気候の温暖な地域ほど、そういう傾向は強いです。
情勢の変化はぐっと下って、大和朝廷が成立し、中国大陸の随の国や朝鮮半島の百済などと一応、国対国のおつきあいが始まった辺り。…邪馬台国はあくまでも魏の国の下、という格好でしたんで、ちょっとおつきあいの仕方が違います。この辺で、シルクロード経由の西洋文化の変形までひっくるめて、多くの物や文化、そして、当時の仏教も入ってきました。
……が、日本の一番上は、神様・天照大神の子孫、ということになっています。これは、続きに続いて、第二次世界大戦敗戦後、昭和天皇の「天皇人間宣言」まで揺らぎません。記述としては、国産の正史とされる記録書の最初は一応、古事記と日本書紀(併せて記紀といいます)ですが、この辺りで初代を神武天皇に定めて、彼の曾祖父が天照大神の孫、という系図になります…(余談ですが、日本には昭和・平成などといった和暦の他に、「皇歴」という通年勘定があって、その元年はこの神武天皇即位元年から始まり、平成元年は皇歴2649年にあたります)……実際は、数代下までは200年以上生きていないと勘定が合わない人が多いんですが……
とりあえず、神様の子孫が統治する国に、別の宗教が入ってきたら…最初は当然、反発どころか戦争も起こります……この辺、日本史では端折られがちなんですが。
多くの国では、自分の国のものではない宗教が入ってきた時、国を挙げて反発します……が、日本の場合、聖徳太子を摂政にした、という辺りで有名な推古天皇の父親(直接の先代ではありません)、欽明天皇が受け入れる意思を示します。国どうしの力関係もあったでしょうし、まだまだ、百済や隋などからかなり遅れていた技術や文化面を吸収していく必要のあった頃、政治的判断もあったでしょう。
が、反対派も当然います。
欽明天皇の側近の2大派閥で、反対派が物部氏、賛成派が蘇我氏(他にも間にいろいろあるんですが…省略)。
とにかくこの辺の対立が始まったのが、聖徳太子と時代を同じくした蘇我馬子の父親の世代です。
……と、いっても、物部氏側も単に宗教が気に入らなかったわけではなく、神様の子孫が仏さんに頭下げるのはちょっと違うんじゃないか、というのに対して、蘇我氏は、積極的に導入するべき、という対立なので、どちらも仏教の完全否定ではなかった……というより、トップである天皇が受け入れを表明しいている以上、完全否定していたら、天皇に逆らったってことで、さっさと決着が付いていたんでしょうが……日本という国は、そういう意味ではやたらに間口が広いんでしょう。朱子学の元になった儒教も一種の宗教ですが、かなり後年、あっさり受けれていますし。(キリスト教が御法度になったのには別の理由があるんですが……おもいっきり先の話です)
……で、この対立は崇峻天皇の頃、物部氏の没落によってどうにか決着がつきます。一説、四天王寺は対物部氏と蘇我氏の戦争によって勝ったことで、祈願によって建立された、という話も。この争いには、成人するかしないかの年頃だった頃の聖徳太子こと厩戸皇子も蘇我氏側として参戦していたとかいないとか。
……と、日本が天皇を神様の子孫としたまま、仏教を同列に受け入れ、国家事業として寺をつくりだしたところまでで、一端、キリにします。
まあ、これを外国に当てはめますと…キリストさん自身はユダヤ教の別流派をつくったつもりだったんですが、仮にその子孫がキリスト教のトップのままでいたとして、それはそれとして、別の宗教も自分主体で盛り上げちゃおう、っていう……一神教主体の国からみたら、かなりとんでもない話、になったわけですよ、と。
幕末にはミジンコ程度しか近づいてないし……orz
※魏志倭人伝の記述を真っ正直に再現すると、実際の場所がどこか、読み方によって変わるどころか、太平洋のど真ん中あたりになってしまうこともあるし、一応、唯一の物証とされる「親魏倭王」の金印も出所がいまいちはっきりせず、「実はムー大陸にあったんじゃね?」というトンデモ説まで出るのが、邪馬台国の場所論争です…一応、有力なのは近畿地方か九州近辺、ですが……昔の話なんで、どこか一つに決定することは難しそうです。
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天皇が神の直系というのも・・・だからってイエスキリストみたいに聖人というわけじゃないし。ギリシア神話みたいに神の子として戦うわけでもないし。あくまで人間ですもんね。
しかしいくら政治的判断だとしてもよく欽明天皇が仏教受入れを奨励したな〜と、読んでて思いました。
国を侵略するにはまず宗教から、懐柔するには宗教には手を出さない、なんて聞いたような気がしますが、この場合はどっちだったんだろう・・・
ありがとうございます。
欽明天皇やそれに続く後代がなんで側近一族の一つの没落まで見逃して仏教をさっくり受け入れようとしたのか、っていうのは…はっきりとは見たことないんですよね…お后がらみならどっちも居たはずですし。
多神教だった国、は、大陸にもいっぱいあったんですが……というか、唯一神の思想は気候の厳しい地域が多いそうです(生きていくのが厳しいから、神様の試練だと解釈して根性入れる、みたいな)
「懐柔するには宗教には手を出さない」はキリスト教に傾倒する前の古代ローマが代表例だと思います。
「国を侵略するにはまず宗教から」…を、やろうとして警戒されまくったのが、日本のキリシタン排除や鎖国令のはじまりです(^^;…植民地時代で他がやられてた頃と、日本が戦国時代終盤が重なるので。
文化や技術面で、この頃は中国大陸方面から圧倒的に遅れていた、というのは…この辺で大陸から技術者を迎え入れてるのではっきりしてるんですが。(次の時に触れると思います。建築技術とか)
神仏習合って確かに外国からしたら???なんで神社仏閣って言葉もあるんですよね。
仏教の保護って確かに聖徳太子って日本史で習いましたけど細かい所は気にしなかった。
だからか?高校で世界史習って??ってなったのは(笑)
けど本当に日本の古代って天皇=神で、天皇が言ったことでその後の文化の有り様が変わってきてるんですね。
しかし最近の宗教争いからいいかげん政治と宗教を切り離せよ!と思うのは私だけでしょうか。
おかしな、という面もありますが、大陸方面では宗教戦争=征服戦争や王朝交代戦争、という構図があるので、一面では、二つの宗教を包括できるほどに平和だったことの象徴でもあると思います。
この後も神教と仏教を巡る対立が無かったわけでは無いのですが、とりあえずは現在でいう「日本」の内側で収まっているので。(沖縄の琉球王国はもとより、蝦夷地、北海道方面、九州方面、四国方面は大和朝廷初期にどういう扱いだったかは…はっきりしない時期があるので…微妙…)
最近の宗教争い…は、欧米諸国は二次大戦前にやり尽くしてるんですが、植民地時代に一旦、歴史が止まって、二次大戦後に、戦前に今で言う先進諸国がやっていた宗教戦争の歴史をなぞって、それを先進国が利用している……という見方もできるので…個人的には、一概に非難するのもなんか、ギリギリで先進国に駆け込み仲間入りできた日本からみて、上から目線っぽいかな〜、と思わなくも無いんですが(^^;