2013年06月02日

方言と脱藩、税制の関連性


カオスな妄想の中にも全う…いや、どっちが「まっとう」なのかよくわかりませんが。
どっちにせよ、あっちこっち飛びまくるのが、龍魔幻の本性です……え、言わんでも解りますか。
まぁ、他のとこと同じくどんどんローペースになっていく可能性が高いんですが、ノっちゃったもんはしょうがない。開き直りです(きっぱりと)

江戸時代の藩、というか地域と方言、それに脱藩(=藩から許可無く離れる)ことには、関連があります……から、土佐弁丸出しで京都ほっつき歩いているゲームの誰かさんは、真剣にマズいはずなんですが……



とりあえず、これを固定しなきゃ始まらない、方言の定義から。(21世紀に入る前の短大時代の講義が基本…その後の自分なりの解釈混じり……)
現代の日本の言語学研究上で最大の基本事項なのは「基本的に、間違ったコトバというのはない」ということです。(言った本人も間違えた大間違い、みたいなのは省く)…地方方言だろうが東京方言だろうがコギャル語だろうが、たぶん今だとネット用語やゲーム用語だろうが2ちゃん語だろうが、全部「地方方言」か「世代方言」としています。ネット語なんかはさしずめ「ネット方言」と「世代方言」のミックスでしょうかね?…まだまだWin98が最新機器だった学生時代、同じゼミの一人がガッコのパソコンでチャットやってて、定期テストの論文でやっつけで顔文字関連「先生にゃわからん世界だろうからパスするだろう」と提出したら「もっとしっかり詰めたら先進的な面白い論文になる」って言われてました。……低価格出版が見当たらないだけで、しっかり探したら、真剣に研究項目として1ジャンルあるかもしんない……

で、現在「標準語」と呼ばれるコトバは、明治の教育勅語による義務教育のさいに教えるべき言葉にはじまって、対世界戦争を勝ったり、うっかり勝っちゃったり…で、最後に太平洋戦争で負けた後は、国営放送、後の日本放送協会が厳選した「日本全国の人に理解しやすいニュースなどで放送するコトバ」がベースに、あとは数の力で東京方言がプラス、という感じのものを指している感じになります。コトバに貴賤をつけるのは、現代人としては野暮の極みってことで。


で、江戸時代、というか、徳川幕府年間。

もともと「お国言葉」という意味で各地方、その地方に適した言葉や話し方、ってのがありました。一番たとえやすいのは東北等の雪国方面で、寒い時になるべく口を開かなくて良いような言葉になっていった、という経緯があるそうです。ちなみにこの法則はさらに北、ロシア語なんかも、ラテン語圏の中ではかなり、口開かなくていい発音になってる、らしいです。

さて。これを上手いこと利用して、税金逃れに脱走したり、待遇差で引っ越したりできないようにつかってやろう、としたのが徳川幕府。徳川幕府の基礎の整備がだいたい出来上がったのは三代家光公の頃、と言われているので、それくらいかな? 脱走云々も参勤交代を利用することが出来る、ってのも関係してる…かも?

「脱藩」…藩を抜けるとか、農民では正当性無く村を出て引っ越すのさえ、重大な罪になる時代でした。なんで、というと、やっぱり一番は税収問題。一人を探すのはとっても大変ですが、いつの世も、基本的にお上は使い方の善し悪しあれど、金欠状態です。華やかな平安文化の頃でも、金を持っていたのは一部の藤原を筆頭とした大貴族であって、肝心の京都御所の正式な「政府」は金欠…っていうか、摂関政治の絡みもあって、余計に吸い取られる格好になっていたそうで。他にも、スパイ(間諜・間者)の暗躍とか、地域を納める偉いさんには近所の他のところと比べられたら困ることとか、色々とあったわけで。(士農工商に公家と、商のさらに下位下層を設けて、互いに被害者意識・差別意識をあおって、トップへの不満を防いでいたような時代です。これは長い間に多くの人に浸透してしまって、今現在ですら、完全に払拭するのは難しい状態になってしまっています。時代の流れでまた別個の差別も生まれてくるし……閑話休題)

で、脱藩の見分け方。今だって完全なID偽装を発見するのは難しい。で、対策の一つとして、各地方の方言を徹底して、その話し方で、出身地方を検分し、理由を照会し、目的が不純なら…単純に現地に叩き返されるならまだマシな方、という感じ。えん罪やら賄賂で見逃された人やらは当然ながら出たでしょうが……そういうことを気にするような時代じゃないからねぇ。
……方言偽装って簡単なんじゃ? と思う人も居るかも知れませんが、これがけっこう難しい。コトバって、けっこう、染みつくのです。耳で聞いて発音する、だけじゃなくて、イントネーションやら、成長段階で口の筋肉の形なんかにも影響するそうな。
コレを書いてる本人、生まれも育ちも西三河、この辺りは近年…じゃないな…戦後生まれくらいの親世代あたりにはトヨタというでっかい工場中心にその子会社、孫・ひ孫会社、関連企業、その他諸々できて、集団就職移住があって、北は北海道、南は沖縄…ついでに、日系ブラジル人さんまで同じ職場で働く環境で、かなり言葉が平板化……いわゆる共通語化している、と言われる地域ですが……。爺ちゃん婆ちゃんならずとも、けっこう影響されてます。ぱっ、と聞いただけだと、敬語なら特に現在の西三河は東京方面ではわかりにくいらしいんですが、地味に常識が違う……「雨」と「飴」、「端」「橋」「箸」など、発音が違うんです……私自身、言語学の講義の時に三河生まれってことで名古屋生まれの同期と同じ文読む、ってのをやって注意して聞いていて、やっと知ったんですが……同音異字が言葉で発音するときに変わるのは三河地方…独特なのか、残っているのがここらだけなのか、って感じで、お隣、尾張地方(愛知県の名古屋のある方)とですら、差が出てる!……三代遡っても三河人に育てられた私や夫は、ここらへんの発音違いは徹底的に注意されたもんですが……まぁ、親世代もそれくらい、常識化していて方言だと思ってなかった、って感じでしょう…

短くて江戸200年、その前はいわゆる戦国時代から延々と安定しないご時世、農地にしても商業にしても、そうそう引っ越しなんぞしないし出来ない時代が続き、基本的には「お国言葉で人の産地が解る」時代。矯正は簡単なことではありません。時代劇なんかで「その言葉、あんた○○の産だね」「へぇ、解りますかい」みたいなやりとりが……私がガキんちょの頃に親の影響で見てた頃は少なくともあったんですが……

短期間の地域移動が許されるのは(例外ももちろんありますが…)武士階級なら参勤交代や幕府のお仕事、工業商業階級ならすこし緩くて出張工事や商売。農民階級までひっくるめて許されたのは、東照宮やら伊勢神宮やらの、大きなお宮参りがせいぜい。
まだ正式に仕事に就いていない年齢の段階で丁稚奉公人とか里子として他地域に出す、ってのも一応、入りますが…。あとは、坊さん、尼さんになるのが一応、逃げ道ではありますが、坊さん尼さんの中にも身分差も差別もありまして。

そんなこんなで、今や保護だなんだと言われる方言は、同時に個々人をその土地・地方に基本的に縛り付けて、税金(っていうか年貢が基本ですが)や環境、その他諸々から逃れられない制度に組み込まれてもおりました。

現代、日本が世界に誇るいくつかのうちに戸籍制度の把握パーセンテージがあるわけですが、その前段階となったのは、そんな時代の縛り付け制度にちかい状態も下敷きになっています……檀家制度とか、ほかにも色々あるんですが、それはまた、別項目で。
【江戸とその前後色々の最新記事】
posted by 龍魔幻(りゅーま) at 15:40
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この記事へのコメント
さすがの考察ですね、ただただ感心です。
方言が身元証明のひとつって確かにそうですよね。
しかし江戸時代の旅のしづらさはなんなんだろうと思ってましたけど、そう言う背景と、しかもそれが今日の戸籍パーセンテージの下敷きになってたとは・・・
ほんとに前時代って今じゃ考えられない社会構造になってたんですね〜
自分とこのができてないのに遊びに来ちゃってすいません〜
はやくウェディングもご紹介したいんですが・・・進まない〜(>_<)
Posted by ふじ at 2013年06月02日 22:09
>ふじさん
こちらにも、ありがとうございます。
この辺はさすがにへなちょこでも短大級か、もしくは中高くらいの歴史教師が間にまぜるか、くらいの話ですから……就職に役立たなかった科目ですが、十年近くたって誰かに楽しんで読んでいただける文章をつくれていたら、とってもうれしいです。
パニックもあちこちすっ飛びながらだらだら続きそうなんで、気が向いたらな感じで紹介してやってくださいまし。提供会社が閉じなければ、サーバーやログは逃げないですから!(←なまじ個性的過ぎるハンドルのせいで、何年も前に書いたログ発見してあわあわすることのあるヒト…)
Posted by りゅーま at 2013年06月02日 22:21
方言ってそんな意味合いがあったんですね!
人をそんな風に縛り付けるから幕末によく脱藩てのがあるんですね。
方言と戸籍にそんな関わりがあったとは……
りゅーまさんのお話は面白い授業を聴いてるみたいで目からウロコ的な気持ちがします。
話はちょっと違いますが隣保班って言葉をたまに耳にします。(私自身は使いませんが)これも少しそちら関連ですかね?
Posted by ねこのこ at 2013年07月23日 22:43
>ねこのこさん
専門家より、苦手分野を調べながらの説明のが解りやすくなる、って話を聞いたことがあるので、そっち方面もあるかも(^^; 元低レベル短大生の基礎復習兼ねてますし。
『隣保班』…は、聞いたこと無かったのですが、いくつかサイト探してみたら…時代としてはもちょっと後っぽい? 町内会等の前身の隣組(近所同士で正月やらお祭り、葬式やら結婚式やらを助け合う感じ。民間の消防団とか)と同義語のようです。……江戸時代だと…町中はどうなんでしょう…それに近い助け合いはあったかも。農民は水飲み百姓の五人組(これも逃亡の相互監視の意味もあった)制度からの発展系の方面もあるかも。
隣組制度が一番生きたのは、戦時中だったと思います。この辺は死ぬか生きるかなので、助け合いの意味が大きく……… たぶん、隣保組、隣組、町内会、江戸だと村の機能からハズされてしまうのが「村八分」ですね。なんで「八分」か、っていうと、衛生上のための埋葬と、村の他の安全の為の火事だけは村内として扱われたから。

それすら拒否されたのが、まったくの別の所に住まわされたエタ・非人階層=いわゆる被差別部落……という構図になります。(この辺は今現在、裏では問題がいろいろ複雑化してるそーで。)

ウチの辺りは町内会所属の家と、借家でそういうのに縁の無い家に別れてますが…都会だとすでに過去の遺物っぽい感じ?
Posted by りゅーま at 2013年07月24日 19:59
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